やる気の定義
- フリーザ にゃんこ
- 8月17日
- 読了時間: 2分
ノッカーが選手に指導する。選手は頷いたり、小さな声で返事をする。指導者が求めてるレベルに到底、到達しない。指導側の不満は募る。大きな声が出せる選手なら大きな声を求める。そこができていればある程度は許容される。
選手の主観では声の大きさは別として、返事してるのにwhy?だ。ナゼ怒られる、なぜノックしてもらえない、間違いではないが、ココは部活や他のクラブチームではない。競技レベルを上げる事を優先しているコースだ。
部活や他のクラブチーム等、バドミントンの練習におけるセグメントが異なる選手は、それぞれの場所にフィットするような行動をとるべきだ。部活では部活のルールがありマシバドにはマシバドのルールがある。社会人のクラブに行けばまたそこのルールがある。
どこが良い、悪いではなく、部活モード、他のクラブチームのモードからの切り替えができていれば何ら問題はない。臨機応変に対応できる様々な環境に身を置いてるのは、社会適応力がついてとてもいいのではないかと思案する。
本日、選手2人にノッカー1人で1コート利用。親御さんがお手伝いしてくださる週末の環境は最高ではなかろうか。当然、きついなんてもんじゃないが、指導者が要求するミッションをノックの中で体現しようと愚直に努力する、それがで1つ1つできるようになれば選手の力は大きく跳ねる。そこを目指して指導者も一生懸命ノックを汗ダラダラ流しながら声を出して2時間実施する。
できる、できないではない。選手はやるかやらないかだ。できるまでやってみよう。
できるまでとことん伴走する。時間をかけてもできるまで指導する。
選手、指導者、立場は違えど平日2時間、休日3時間、やる気の定義はそれに尽きる。
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